人生は短い―。

耳にタコができるほど聞かされる言葉です。



ただ、ほとんどの人は死ぬ間際になって初めて人生の短さに気付くと、
古代ローマの哲学者・セネカは言います(セネカ「人生の短さについて」)。




最近の日本人の平均寿命は84歳。
長いようにも思えますが、人生を3万日として残り時間をバッテリー残量に置き換えてみると、
20歳は76%、30歳は64%、40歳は52%、50歳は40%、60歳は27%、70歳は15%になります。




なんとしたことか、僕の人生のバッテリー残量は半分を切っています。
それどころか、突如シャットダウンする可能性も。
人生がいかに儚いのか、改めて思い知らされています。




セネカはこうも言います。
「どれだけの水を注ぎ入れても、それを受けとめて蓄える容器が下に置かれていなければ、何にもならない」と。
どれだけの時間があろうとも、人としての器がなければ、ただ虚しいだけであると。




できるならば、浪費ばかりの虚無で人生を終えてしまいたくはないものです。
どう生きるか。いまここをどのように過ごすか。



また、立ち方と書き方から、自分の器を整えていくとします。




※「世短意多」…世短(よみじかく)意(い)多(おお)し。人生は短いのに、考えることは多い(南宋・羅大経「鶴林玉露」)。








3000年にわたる書の歴史の中で、イチバンの超絶技巧の持ち主は誰でしょう。

チョ遂良「雁塔聖教序」、藤原行成「白氏詩巻」、米フツ「蜀素帖」…それぞれに"推し"はあるでしょうが、

必ずといっていほど上位にランクインする人物といえば、明末連綿草の王鐸(1592‐1652)でしょう。



王鐸は、平明軽快な書風の文徴明や、清新洒脱な董其昌の卒意の書を乗り越えんとばかりに、

極めて情熱的な作品を仕上げていきます。



紙に向かって勢いよく筆を落とし、大きなスイングで強く筆を進めるも、線が抜けることはありません。

行が左右に揺らめくも、行立てはしっかりとしています。

大きく滲むほど墨をタップリとつけ、それが枯れるまで書き続けることで強い意志を表します。




彼が独自の表現領域に達したのは、「一日臨書・一日創作」というルーティンを生涯続け、

古典(特に王羲之書法)を徹底的に追及したからだと言われています。



かといって、古典に隷属することはなく、古典は壊し作り直すものとして、原本とは似ても似つかない臨書作品を表しています。

王鐸の学書のスタイルは、まさに、論語にいう「好古敏求」。

天才ではなく努力家、伝統古典への探究心を絶やすことなく、積極的な学びを続けたのでしょう。




なお、王鐸は、明王朝から清王朝に鞍替えした「弐臣」として政治的には蔑まれたりもしますが、

清王朝に仕えたのは生涯の終わりの6年間のみです。

弐臣を理由にその書を否定したり解釈したりするのは、あまりに感傷的でしょう。




言い伝えによれば、王鐸はヒゲをたくわえた屈強な大男。その声は太く大きく、人並外れた大飯食らいで。

常にうどんを食べて腹を充分に満たしてから、三メートルほどの紙に一気呵成に100枚を書いたとか。

僕もまた、うどんを食べてから王鐸の筆法を研究してみようと思います。


武田双鳳


※「我非生而知之者。好古、敏以求之者也」

…我は生れながらにして之(これ)を知る者に非(あら)ず。古(いにしへ)を好み、敏(びん)にして以て之を求めたる者なり。

孔子は、決して、生まれながら物事を知っている者ではない。昔の聖人の学を、たゆまず積極的に探求して得たものである(「論語」より)。









息を止めて線を引くと、線は窒息してガタつきます。
呼吸が荒ければ、線は暴れてボコつきます。


なるほど、書は「呼吸の芸術」と言われるわけです。
呼吸が深い人の線は、たしかに、墨色も深い。



すべての文字は、線から成り立ちます。文字を構成する線は、呼吸から成り立ちます。
呼吸を整えることは、すべての文字を美しめる可能性を秘めた、とても効果的な書道の稽古なのです。



もっとも、猫背、反り腰、スマホ首・・・
といった現代人特有の身体状況で深呼吸しようとしても、なかなか全身に空気が行き渡りません。


そこで、書法道場では「呼吸の稽古」(瞑想タイム)の前に、
ヒモトレなどで呼吸が深まる心地よさを感じる機会を設けたりします。



やることはいたってシンプル。ただ紐を巻いて動いたり、ただバランスボードに乗ったりするだけです。
たったそれだけでも、全身に空気が通っていくようになります。やはり、この身体は深い呼吸ができる力を備えているのでしょう。



いま、自分の呼吸感はどんなものなのか。筆をとる前に、ちょっとセルフチェックをしてみませんか。
試しに、胸あたりに緩くヒモを巻いた時と、巻いていない時で、空気の入り方がどのように異なるか。比べ感じる時間をとってみませんか。



書は呼吸の芸術。だからこそ、呼吸の稽古から始める。
まずは、身体に空気が通うようすを観じてみる。そんな書道の取り組み方は、いかがでしょうか。




※「安禅制毒龍」(王維)…安禅(あんぜん)毒龍を制す。心静かに座禅を組み、煩悩を取り払うこと。


武田双鳳







2023年の稽古も、無事に終えることができそうです。
ひとえに、生徒の皆さんが積極的に書を楽しんでくれたおかげです。心より感謝を申し上げます。




2024年は辰年ですね。辰年生まれの能書家といえば、王献之(320年〜)、チョ遂良(566年〜)、藤原佐理(944年〜)、
祝允明(1460年〜)、王鐸(1592年〜)、呉昌碩(1844年〜)など、盛りだくさんです。




父・王羲之と共に「二王」と称される王献之は日常書体(行草体)のひな型を、
チョ遂良は他の初唐の三大家(欧陽詢、虞世南)と共に、現行正書体(楷書体)のひな型をつくりました。



藤原佐理は、他の平安の三蹟(小野道風、藤原行成)と共に、和様や仮名という日本独自のスタイルを生み出しました。
祝允明は絵画的筆使いで、王鐸は長条幅連綿草で魅せる書の起点となり、最後の文人と評される呉昌碩は日中の書道文化の橋渡しをしました。




「誰?そんな人は知らん」という方でも、ご安心を。
これからも、毎月の基礎書法講座で取り上げていていきますから。



「いや、月例誌の手本だけで十分」という方は、ご注意を。
手本と自分だけの二面関係では上達が滞ります。
古典学習を取り入れることで、≪手本‐古典‐自分≫の三面関係を構築し、スムーズな上達を実現しましょう。




2024年の干支は「甲辰」(きのえたつ)。
『みなさんの氣が伸びやかになり、多くの恵みと通い合いますように!』と願って、『氣伸恵多通』(きのえたつ)と書きました。



「甲」は草木が勢いよく伸びることを、「辰」は草木が整うことを表します。
「甲」は十干のトップバッターで、物事の始まりや成長という意味があります。総じて、「甲辰」の年は、「龍」の如く力がみなぎる年になるそうです。




これからも、書を楽しみ、龍のように伸びやかな日常を過ごしていきましょう。
2024年も、どうぞ、よろしくお願い申し上げます。



武田双鳳








「耕不盡」(こうふじん、耕せども盡(尽)きず)。

田畑を耕すことを学び続けることに例え、「学びは尽きることはない」という意味です。




その通り、いくら学んでも、終わりが見えることはありません。

それどころか、ますます、果てしないものに思えてきて、呆然としたくもなります。

「書けば書くほど(目が先に肥えてしまって)下手になったように見える」という経験、

書生の方であれば誰しもが持っているのではないでしょうか。




だからといって、学びを止めてしまえば、耕されなくなった田畑の土のように、心もやせ細っていきます。

やさぐれ雲に覆われ、日々の生活がどんよりしていきます。

もしかしたら、学びをやめることこそが、人生をつまらなくする最大のコツなのかもしれません。




もっとも、学ぶことが大切だからといって、「学ばなければ」と義務化すれば、

肥料をやりすぎた田畑のように、学びは衰えていってしまうのでしょう。




学びが最大化するのは、知的好奇心が湧いているとき。

おのずから「学びたい」と心が動かされたとき。

「学ぶべき」とか「学ばなければ」という窮屈さは一旦脇に置き、

とにかく、「興味を持とうとする」ことが大切です




試しに、カメムシが嫌いな人に、「どっちがオスでしょうねー」と雌雄の見分け方を調べてもらえば、

窓に貼りついたカメムシのお腹をじっくり観察されるじゃないですか。




もちろん、それでカメムシ好きにはならないでしょうが、「いろんな種類がいるんだ」などと、

確かに、それまでとは違ったものの見方に気づくことで、「知的好奇心」という学びのキッカケを得ることができます。




まずは、わずかでも興味を持とうとする。

「ニガテ・キライ」といったチクチク言葉ではなく、「どんな・なんで」のふわふわ言葉を選んでみる。



「ワタシワコンナヒトダカラ」といった呪いで、自分の未知の可能性を閉ざさないようにする。

                そんな些細な習慣こそが、「耕不盡」を楽しみ、日々を豊かにする大きなヒントなのかもしれません。                                                       


  武田双鳳









たまゆらの 露も涙もとどまらず 亡き人恋ふる 宿の秋風 




この家に吹く秋風のために、ほんの少しの間も、草木の露も自分の涙もとどまることがない−と、

亡き人をいたむ悲しさを藤原定家が「新古今和歌集」で。




最近の冷たい秋風に吹かれたからか、約900年前の歌に、じんわり共感。

「たまゆら」(玉響)という言葉を、声に出して読んでみると、いかにも日本的なあわい感じ。

「たまゆらの」が、「ほんのしばらく」と「玉のよう」の意をかけているところも、何ともまぁ、雅なことか。




そういえば、ぼくらの人生も「たまゆら」。

ほんのちょっとで終わってしまう儚いもの。かといって、やさぐれてしまえば、この生命がもったいない。




この玉(魂)、できれば、ちゃんと輝いてくれるようにしたいもの。

僕は書くことしかできないけれど、それでも、日々心をふるわせ、コツコツと玉を磨き続けていきたいと思うのです。




武田双鳳 2023.10




※たまゆらの〜を歌った藤原定家とその父・藤原俊成は、革新的なスタイルのかなの書を生み出したことでも有名です。



規範的なかなの書を生み出した「高野切第一種」と「寸松庵色紙」は作者性(個性)=「誰が書いたのか」より、「どのように書かれたのか」(規範性)を重視するものでした。


その後、香紙切や針切、紙撚切などを経て作者性が露わになっていき、ついに、藤原俊成「日野切」や藤原定家「近代秀歌」などによって、「誰が書いたのか」、作者の顔が見える革命的なかなの書が生み出されました。


それから、かなの書は流儀書道化していきますが、俊成・定家親子の書きぶりは、賛否両論はありながらも、日本書道史においてひときわ輝いています。



≪規範化:高野切・寸松庵色紙⇒脱規範化:香紙切・針切⇒革新化:日野切≫と≪規範化:王羲之・欧陽詢⇒脱規範化:顔真卿・懐素⇒革新化:北宋三大家≫といったように、中国の書とパラレルに捉えると分かりやすいかもしれません。









3500年ほど前、亀の甲羅や牛の肩甲骨に、「言葉をほる」(刻る)ことから始まったとされる書の歴史。

甲骨文や金文から篆書体・隷書体というフォーマルな政治的石刻書が生まれ、

隷書体を書聖・王羲之が草書体・行書体というカジュアルな日常的肉筆書にデフォルメしていきます。




この石刻書と肉筆書は、初唐三大家(欧陽詢・虞世南・チョ遂良)が確立した楷書体によって統合。

ここで「書体の歴史」(何を書くのかの歴史)は区切りを迎えます。



その後、盛唐の李ヨウ・懐素・顔真卿らによる革新的な表現を転機として、

北宋三大家(蘇軾・黄庭堅・米フツ)の多種多様な書風(書表現)により、

「書風の歴史」(どう書くかの歴史)が展開されるようになっていきます。

(平安後期の日本では「和様の書」・「仮名」という独自の書風が成立)




それから、元代は復古主義の趙孟フ、明代は革新的な董其昌や王鐸、清代はケ石如ら碑学派・・・と、

「書聖・王羲之」からの求心・遠心が繰り返されていきます。




このように「書の歴史」は移り変わりますが、甲骨文における「刻る」は、変わることなく「書く」に内包され続けていきます。

筆の毛先を「鋒尖」(きっさき)と、筆管(軸)を「筆柄」と呼んだり、

書の世界では「筆」と「刀」を「文武両道」で捉えたりするのも、「書く≒刻る」の表れでしょう)。




ところが現代、言葉はPCやスマホで「入力」されるばかりで、「書く」からは遠ざかっています。

AIの普及が進めば、入力すら不要になっていくのでしょう。

「書く」は、いわば絶滅危惧種、このまま消滅していくのかもしれません。




ただ、どうでしょう。情報機器で入力された「ありがとう」と、手で書かれた「ありがとう」には、

やはり、伝わってくるものが違いはしませんか。




約3500年前から受け継がれてきた、「言葉を書く≒言葉を刻る」という文化的行為。

もしかしたら、人間の魂の琴線に触れるような喜びを、引き起こすものかもしれません。



師範 武田双鳳 2023.10


※千古不磨(せんこふま)・・・優れた伝統や芸術は永遠に伝わり続ける。








手についた墨の汚れが作品について台無しに、どれだけ後悔したことか・・・。

唐代の禅僧・神秀の「時時勤払拭(じじにつとめてふっしきせよ)=常にキレイにしておこう」との詩が、胸に響いてきます。




試しに、「後から掃除をすればいい」とほったらかしにしてみれば、あっという間にお部屋は汚部屋に。

散らかれば散らかるほど掃除をするのがおっくう後回しになり、ますます汚部屋に。




ルンバ、ダイソン、ケルヒャー・・・いくら高性能な掃除マシーンを備えていようが、

掃除の後回し癖がこびり付いてしまえば、まさに宝の持ち腐れです。




そういえば、書の師匠の双葉は、書いては拭き、書いては拭きと、書と掃除を一体として取り組んでいます。

だからでしょうか、机まわりに墨がついているのを見たことがありません。




やはり、掃除の基本は「時時」(マメに)「払拭」(拭きとる)。

ゴミはさっと拾い、汚れはさっと拭きとる。

後回しにせず、素早くさっと掃除をする。




迷いのない条件反射的な掃除動作が、

汚れが生む浪費(こそぎ落とす労力やなくしものをする無駄など)をもキレイに取り除いてくれるのでしょう。




合気道の「髪の毛一本でも落ちていたら場が乱れる」というほどに厳格ではありませんが、

たった墨汁一滴の汚れが、書を乱してしまうことがあるのは事実でしょう。




「清書」とは、純白の世界に臨むことで、人間を清める所作です。

場を浄化しながら書を磨き、自分の汚れを「払拭」していく心地よさを、また、丁寧に味わっていきたいと思います。



師範 武田双鳳 2023.9





長い書道史において「最も独自性がある作品は何か」と尋ねられたら、

やはり、蘇軾の「黄州寒食詩巻」が挙げられるでしょう。

黄庭堅における宗峰妙超、米フツにおける市河米庵のような追随者は、蘇軾については後世見当たりません。




蘇軾の書はそんなに難しいのか・・・と思いきや、王鐸のような"超絶技巧"は見当たらず、ただ肉太に扁平に書かれています。

ところが、テクニック的には易しめなのに、ふと真似して書いてみても、イビツな字になってしまいがちです。




そもそも、蘇軾は自らの書について「もとより法なし」と述べ、技法を重視していないことを明かしています。
(と言いつつ、古典に深く学び、相当に技法を磨いてきた跡はあるのですが・・・)。




その代わり、「立派な人物でなければ駄目だ」と人間性に重きを置きます。

蘇軾の小手先の書技法ばかりを真似しようすることは、的外れなことなのでしょう。




だったら、人間性を高めればいいとも思いますが、愚鈍な自分には果てしなさすぎます。

蘇軾は政治家や画家、書家としても大人物ですが、やはり、蘇軾といえば「詩」。

その書には、圧巻たる「言葉の力」が宿っているのでしょう。




もちろん、蘇軾が述べるように「神・氣・骨・肉・血」が充実してこその名品です。

「氣」を「呼氣≒言葉」と解するならば、「全身の力(骨・肉・血)」をもって豊かな「感情」(神)を憑依させる素材として、

確固たる「自分の言葉」(氣)が必要不可欠です。



とするならば、「黄州寒食詩巻」から真に学ぶべきことは、「氣」≒「言葉」への姿勢なのです。

情報にまみれ、誰かの言葉に酔わされがちな現代人にとって、自分の言葉を紡いでいくことは至難の技でしょう。



しかし、どれだけ書き方が上手くなっても、自分の言葉で書けなければ、人の心を動かすことはできません。

日々の生活において、どんな言葉を大切にされているでしょうか。

ぜひ、「自分の言葉」を探る旅に、ひょいっと出かけていきましょう。




師範 武田双鳳 2023.8









「弘法は筆を選ばず」といえば、「達人は道具を選ばない」とか、

「上手な人は道具のせいにしない」、「下手な人ほど道具のせいにする」といった意味にとられているのでしょうか。




対話型AIは「どんな筆でも使って書いた」と、

Google検索は「弘法大師のように書に優れている者なら筆の善し悪しは関係ない」と表示します




しかし、日本の書道史きっての能書家、弘法大師空海は、本当に筆の質に頓着がなかったのでしょうか。

まずは、空海の言葉を集めた「性霊集」(しょうりょうしゅう)を調べてみれば、「能書必用好筆」(能書は必ず好筆を用う)、

すなわち、「字が上手な人は必ず良い筆を選んでいる」と書かれています。




次に、空海直筆とされる「狸毛筆奉献表」(りもうひつほうけんひょう)。

そこに、空海は長安で学んだ筆の新製法を筆職人の坂名井清川(さかないのきよかわ)に伝授し、

狸毛筆を楷・行・草・写経用に四本作らせて嵯峨天皇に献納した―と書かれています。




要するに、用途に応じて筆を選び抜いていると。

AIやGoogle検索とは真逆で、弘法は筆を選ばないどころか、「弘法こそ筆を選ぶ」とされています。




では、なぜ、「弘法は筆を選ばず」について誤解が広まったのでしょう。

思うに、その理由のひとつとして、「モノとしての筆」と「コトとしての筆」の混同があるかもしれません。




前者は「筆そのもの」(物理的な筆)を、後者は「筆の使いこなし」(技術的な用筆法)を指します。

「五筆和尚」(ごひつわじょう)という言い伝えでは、空海は、両手両足と口で五本の筆をとり、

五書体(篆・隷・草・行・楷)を同時に書いたとか。




あくまでも伝説ですが、空海が様々な筆法を使いこなし、「コトとしての筆」に卓越していたことを示すものでしょう。

本来の「(コトとしての)筆を選ばず」が、いつかしら、「(モノとしての)筆を選ばず」に誤用されてしまったというのは、ありえなくはないでしょう。




繰り返しになりますが、「(モノとしての筆)は選ぶ」のが、書を嗜むうえでの基本です。

試しに、その辺に落ちている棒で砂浜なんかに書いてみてください。筆(ここでは棒)を選ぶ大切さ、事実として目の前に現れるはずです。



師範 武田双鳳 2023.7






「書は知ることから始まる」と言ったら、言い過ぎでしょうか。




さんずいの一画目と二画目の関係など具体的な文字の書き方はもちろん、筆の洗い方、墨のつけ方、椅子の座り方など、

「知らないからできない」(知るだけでできる)ことは、100人単位の生徒に教えている中で日常茶飯事です。




もちろん、書き込むことは大切です。ただ、書き込みを充実させるためには、

知る(思考力を磨く)、動く(身体感覚を磨く)といった「書かない書の稽古」に取り組むことも必要なのです。




最近、大人の「書かない書の稽古」では、中国・北魏時代(500年頃)の書を取り上げています。

現代令和の実用的な美しい書き方は、初唐楷書(九成宮醴泉銘など)で組み立てますが、そのベースは北魏の書です。

その書はいわば”踏み台”、特性を知れば、書き方全体のレベルが底上げされていきます

(ゆえに、小1から北魏時代の書の筆使い―蹲筆や捩筆など―を教えます)。




北魏時代の書といえば、楷書。「北魏楷書」や「六朝楷書」として、(書の世界では)知らない人はいないでしょう。

ただ、北魏楷書といっても種類が多いため、方筆系や円筆系といった整理分類が必要です。

もちろん、分類すること自体が目的ではなく、自分の書に北魏のエッセンスを染み込ませ、“古典の香りを纏う”ことこそが大切です。




優れた書というものは、すべからく、"古典の香り"を纏っています。

試しに、王羲之「蘭亭序」、顔真卿「争坐位稿」、蘇軾「黄州寒食詩巻」、相田みつをの書を鑑賞してみるといいかもしれません。




一般的な香りに例えるならば、ハーブ系や柑橘系、オリエンタル系のどれでしょう。

オリエンタル系の中でもイランイランやサンダルウッド、パチュリ、どれに近いでしょうか。




蘭亭序には八分隷(礼器碑など)、争坐位稿には小篆(泰山刻石など)、黄州寒食詩巻には新法行書(李思訓碑など)

、相田みつを「人間だもの」には北魏楷書(鄭羲下碑など)の香りが漂っていないでしょうか。




では、みなさんが書いた字からは、どんな香りがするのでしょう。

クンクンと、それぞれの書を嗅いでみることは、なかなかに楽しいものです。


師範 武田双鳳 2023.6




                                   





「心正しければ則ち筆正し」(心正則筆正)―。書を嗜んでいれば、いつか耳にするだろう名言でしょう。

これは、柳公権が、皇帝・穆宗に「筆の何なれば善を尽くすか」と尋ねられたときの言葉です。

帝のだらしない生活を諌めるためだったそうですが、僕もだらしないので、いつ聞いてもギクッとしてしまいます。




時の最高権力者に「シュッとしなさい」と進言できる柳公権は、さぞかし高潔な人物だったのだろう、と想像しますが、

なんと子供の頃は、お調子者で自惚れが強かったそうです。




子供の頃の柳公権は字が大変に下手で、父から叱られてばかり。

ただ、生来の負けん気を発揮して、二年ほど習字を昼夜となく続けると、

同年代の子供のなかでは一番上手に書けるようになりました。




厳格な父からも認められ、柳公権は「ぼくの字は上手い」と得意になっていましたが、

豆腐売りの老人から、「あなたの書は豆腐のようで、まるで骨がない」と批評されます。




柳公権は腹を立て、「みんな僕の字がよいというのに…それなら、あなたの書をみせろ」とまくしたてると、

老人は笑顔で「私は愚老で書けないが、華原城に脚だけであなたより上手に字を書く人がいる」と言います。




そこで、柳公権が華原城に行くと、なんと、浅黒く痩せて両腕のない老人が、

左脚で紙を押さえ、右脚の指に大筆を突っ込んで巧みに字を書いているではありませんか。

その書は、まさに龍飛鳳舞の如くで、柳公権は唖然とせずにはいられません。




自分の傲慢さ恥じた柳公権が、老人にアドバイスを求めると、

「五十年以上毎日書き続け、家の外の大きなため池が真っ黒になってしまった」と言います。




これにより柳公権はさらに発奮、

手にマメができるほど習字に励み、遂に、晩唐一の書家と評されるほどになったと。




自分の書を良しと決めつけ高慢になることだけでなく、悪しと決めつけ蔑ろにすることも、

「心正し」から遠ざかってしまうのでしょう。



自分の書を「筆正し」に導くために、いかに、「心正し」に近づくか。

今日も、姿勢と呼吸を正し、自分のニュートラルを感じることから、稽古を始めていきたいと思います。




師範 武田双鳳 2023.5









僕らは生まれながらに、いろんなシガラミに覆われています。

シガラミがあるおかげで、社会が安定するという面もあるでしょう。




ただ、先の大戦のように、全体主義や同調圧力といったシガラミが、時には、僕らの幸せを奪うこともあります。

このようなシガラミの暴走を阻止せんと、多数派によるシガラミですら立ち入り禁止の「私的領域」(自由・人権)を再確認したはずでした。




ところが、どうでしょう。

多数派のコロナパニックで作り出された不合理なシガラミが、

食事や息の仕方、人との接し方といった純粋な私的領域にまで、次々と土足で踏み込んでくるじゃありませんか。




特に、子供達に対するシガラミは過酷で、会話や素顔の禁止、運動会等の各種行事の中止など、

その年齢でしか経験できない大切な機会を奪いつくされてしまいました。




重大かつ長期の人権侵害という異常事態であるのに、リベラル派を標榜する政治家や専門家ですら、

「ケイザイヨリイノチ」といった保身で思考停止し、声をあげようとはしません。

人との触れ合いを断ち切るシガラミが、いかに子供達の幸せを蔑ろにするものか、想像に難くはないはずなのに。




僕は、このパニックによる同調圧力から子供達を護ることができなかったことに、

大人の一人として大変申し訳なく思っています。




特に、2022年5月まで書法道場でマスク着用を推奨してしまったことは、憲法を学んだ者として本当に恥ずべきことでした。

今になっても、マスクを外せない子供を目の当たりすると、心が強く痛みます。




もう二度と、シガラミの無理強いによって、目の前の小さな「慈」(いつくしみ)や「優」(やさしさ)を奪うようなことをしてはなりません。

どうか、どうか、このパニックが早く収束し、子供達がジユウになりますように―。



師範 武田双鳳 2023.4











頑張れ、負けるな、何者かになれ…。

いつか誰かに刷り込まれた常識という「牢獄」に幽閉され、カラダを固め、こころを塞いでしまう。



素で息をするな、人と触れ合うな、外に出かけるな…。

三年にもわたるコロナ対策で、さらに深く暗い「牢獄」に閉じ込められてしまう。



僕らは、何かと競うために生まれてきたのでしょうか。

何者かになるために生まれてきたのでしょうか。病気にならないために生まれてきたのでしょうか。



さて、一般的な書道展では、頑張って入賞者になろうと、

誰にも負けないよう苦労を惜しまず、努力をしつくした技巧的な作品が展示されます。



これも素晴らしいことなのですが、

他者評価を得るための自己犠牲が過ぎ、「本来の自分らしい書」が見失われがちです。



それに対して、書法道場展は、あくまでも「自分の在り方」を磨いていくものです。

入会したての書道初心者が、たった数枚書いて仕上げた作品が展示されたりもします。



頑張らない。競わない。評価を求めない。心から楽しむ。丁寧に味わう。遠慮をせずに思い切ってやってみる。

他者依存から抜け出し、自分の「らしさ」を開いていく。

書法道場展に向けた作品制作への取り組みは、「牢獄」から解き放たれていく営みそのものなのです。



3月17日〜20日、烏丸御池「しまだギャラリー」に生徒作品を展示します。

制作にあたって、互いに密に触れ合いながら身体感覚を整え、

歴史古典を丁寧に学び、「自分の書」を探る楽しさを存分に分かち合いました。



このようにして育まれた「書」が、いかに心地よいエネルギーを解き放っているか―。

「爛漫」に咲き誇る書作品を、ぜひ、ご鑑賞ください。




師範 武田双鳳 2023.3








「書は線質で決まる」と言っても、大袈裟ではないかもしれません。

書は、線によって生み出される芸術ですから。



そもそも、線を引くことは、人間という動物の根源的な行動のようで、2歳頃になるとクレヨンなどで線の落書きを始めます。

楽しくて仕方がないのか、僕の息子達も、そこらに書いてまわったものです。



なぜ、意味や目的もないのに、線を引くのが楽しいのでしょう。

西田幾多郎の言うように「生命のリズムの発現」、すなわち、線によって自分の生き様を表現できるからでしょうか。



「線が細い人」と言うように、僕たちは、線の質と生き様との間に、何らかの関わりがあることを、無自覚的にせよ認識しています。

特に、繊細な毛筆によって書かれた線には、その生き様が表れやすいようです。

高村光太郎は「それを書いた人間の肉体、ひいてはその精神の力なり、性質なり、高さ低さ卑しさまでが明らかにこちらに伝播してくる」と述べています。



書を習ってみると、線を引くための様々な技法に出会えます(露鋒や蔵鋒、逆入平出など)。

ところが、それらの技法を駆使しようとしても、なかなかに、古典のように線が充実してくれません。

技を追っかけてしまうあまり、線が空虚なものになってしまうのです。線を書く技に「たましい」が宿っていないのです。



九成宮醴泉銘といった古典の書線に生命力が充ちているのは、

尊円法親王が言うように「古の能書家の点画には隅々まで精霊(たましい)が宿っている」からなのでしょう。




生徒の皆さん、いかがでしょう。線の稽古をされていますか。テクニックを磨くことや、見栄えを整えることに偏ってはいませんか。

一点一画に精霊を宿すことを怠ってはいませんか。2歳児の時のような線で自己表現する喜びは感じていますか―。



自分自身が出来ていないので、自戒の意味を込めて、このように言ってみました。

さて、今日も、また、基本線の稽古から始めるとします。




師範 武田双鳳 2023.2









大人の基礎書法講座では中国・漢代の隷書の学習を終え、

いよいよ、書道史における最も激動の時代、魏晋南北朝時代に入っていきます。



まず、魏晋代に革新的なスタイルを打ち立てた三人の能書家―張芝・鐘ヨウ・王羲之―が現れます。

ここで、現行書体(草書・行書・楷書)の原形が出そろい、紙の普及も相まって、書の在り方が急激に変わっていきます。



特に、王羲之が編み出した書法は、その後の書の歴史のモノサシ(スタンダード)となっていきます。

唐代の顔真卿も、北宋代の米フツも、現代の書家も、その書は「王羲之との距離感」で語られるのです。



なぜ、王羲之書法が、書の歴史とモノサシとなったのでしょうか。

それは、美しさ(芸術性)と使いやすさ(実用性)を兼ね備えたものだったからとも考えられます。



その実用性(法則性)を強調していくことで初唐楷書における書体の完成に、

芸術性(人間性)を強調していくことで顔真卿以降の様々な書風誕生に、それぞれ繋がっていきます。



また、王羲之を熱愛した唐太宗の影響もあって、

奈良朝の日本でも聖武天皇と光明皇后を火付け役として王羲之ブームが起きます。



平安初期になると「三筆」(空海・嵯峨天皇・橘逸勢)が登場し、

「唐様」として定着した王羲之書法に独自のアレンジが加えられるようになります。



平安中期以降、遣唐使船が廃止されてからは「三跡」(小野道風・藤原佐理・藤原の行成)が登場。

漢字をかな化した独自のスタイル「和様」が生み出されていきます。



今月の基礎書法講座では、遣唐使の阿倍仲麻呂や詩人の李白なども登場し、

いかに当時の日本が王羲之書を起点とする「東アジア漢字文化圏」に組み込まれていったのか―についても触れていきます。



私たち日本人の生活スタイルがいかに欧米化されようとも、

やはり、言語的にも思想的にも東アジア漢字文化圏で暮らしています。



その故郷ともいえる王羲之の書に触れていると、なんだか心がスッキリしていくのは、

ぼやけてしまった文化的モノサシのメモリが補正されるからかもしれません。




・・・・・・さて、新たな年となりました。遅まきながら、明けましておめでとうございます。

書法道場では2023年も「書をたのしむ場」を、生徒の皆さんと共につくっていきたいと思います。



「書」とは何なのか。常に問いかけながら試行錯誤を繰り返し、

「自分らしい書」を育てていく深い喜び。ぜひ、分かち合っていきましょう。



師範 武田双鳳 2023.1




※「良美津飛平」=「ラビットぴょん」と、皆様にとって良い年になりますように!








三筆、三跡、三大家…「三」という数字は、書道史において度々登場します。



日本では、平安初期の「三筆」(空海・嵯峨天皇・橘逸勢)、平安中期の「三跡(蹟)」(小野道風・藤原佐理・藤原行成)、

寛永の三筆(本阿弥光悦・近衛信尹・松花堂昭乗)が有名です。



中国では、「初唐の三大家」(欧陽詢・虞世南・チョ遂良)、「北宋の三大家」(蘇軾・黄庭堅・米フツ)でしょう。

他に「三」で括ってみるならば、元明の三大家(趙孟フ・董其昌・王鐸)、清代碑学派の三大家(ケ石如・趙之謙・呉昌碩)あたりでしょうか。



道場では、先月までの稽古で殷〜漢の書(篆書と隷書)の基本的な学習を終え、

今月から六朝時代(三国〜南北朝)の書に入ります。



隷書が正書体としての役割を終え、紙の普及に伴い日常書体(行草書)が発達していきます。

それと共に、石刻文字と日常書体が融合し、楷書の完成へと向かいます。

「書聖」王羲之が登場するなど、書道史において最も激動の時代です。



このころ、能書家として個人名が登場しはじめます。「三」で括るならば、「六朝初期の三大家」(張芝・鐘ヨウ・王羲之)でしょうか。

張芝が「草聖」(草書芸術の創始者)とされることから、鐘ヨウを「楷聖」、王羲之は「行聖」とすることもできるでしょう。



三人のうちで最も技巧派といわれる張芝には、「池が墨で真っ黒になるほど書き込んだ」との故事「臨池」があり、

その後、臨池は「習字」という意味に用いられるようになっていきます。



ただ、張芝は上達のために猛練習したわけではなく、

家にある布地にも全て字を書くほどに書が大好きだったからこそ、池が真っ黒になるまで書いたのではないでしょうか。




現代人は、誰かに評価されるために…と、どうも損得勘定だよりで練習してしまいがちです。

何かのためにやる練習は、何のためにもならないにも関わらず。



果たして、僕らは「臨池」の態度をもって、稽古をしているのでしょうか。

書の本来の楽しみを深める時間を、いつも、大切にしていたいものです。



https://youtube.com/shorts/ZUT-BFufhR0?feature=share


師範 武田双鳳 2022.12








書は「美」を表現する手段の一つです。

「美」の字源は「羊と大とで肥えた羊」とされ、生命の充実を表すものです。




古来より、「美」に欠ける字は「病筆」とされ、東晋の王羲之の師・衛夫人の『筆陣図』には、

「無力無筋なる者は病なり」(字に骨力や筋力がないものは不健全である)とあります。

心と身体が健全に働き、筆の性能が十分に発揮しなければ、その書は「病」とされるのです。




病筆の例として「八病」(牛頭・折木・柴担・竹節・鶴膝・蜂腰・鼠尾)が有名ですが、

その他にも「墨猪・肉鴨」(肥えすぎた筆画)、「枯骨断柴」(やせ衰えた筆画)などがあります。




この病筆を拗らせると、「死筆」にいたります。死筆とは、筆の提按(あげ・さげ)やそれに伴う太細の変化がなく

、筆で塗りつけたり、引きずったりするだけで、少しも筆鋒の抑揚頓挫の活躍のない点画のことをいいます。




では、「病」から抜け出し「美」に達するためには、どうすればいいのでしょう。

衛夫人の同著には「多力豊筋なるものは聖なり」ともあり、

骨力や筋力が豊かな字が「聖」、すなわち、美の原点とされています。「多力豊筋」なる書の実現について、




蔡よう『石室神授筆勢』には「筆を下すに力を用ふれば、肌膚これ麗し」とあり、運

筆の際に筆尖に全身の力が透れば、点画が生命力で充ち、線の肌の色つや美しくなるとします。




このように筆力を充実させるためには、

筆の持ち方(提腕法や枕腕法など)や運び方(蔵鋒や蹲筆など)といった用筆法の稽古が必要です。

しかし、前提としての身体性が欠けていれば、用筆の練習は薄まってしまいます。




前漢の楊雄の『法言』に「書は心画なり」とある通り、書は心が発露された表現物です。

「心」は「身」であり、立ち方や座り方、息の仕方といった普段の動作によってこそ形成されていくものです。




書における身体性は「自然性」であり、

筋トレのように鍛えたり加えたりするものではありません。



そもそもから身体に備わる内なる自然の心地よさを感受しながら、

しなやかでまとまりのある筆と調和し、旋律を奏でていくものなのです。



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師範 武田双鳳 2022.11